ずいぶん前に私は不幸せなソクラテスより幸せな豚でありたいと書いたような気がするけど、
やっぱり不幸せなソクラテスの方がましね。
ただ、「まし」なだけで不幸せなソクラテスになりたいなんてこれっぽっちも思わないけど。
何者(物)にも「分相応」というものがあって、
やっぱり私は器も魂も幸せな豚にするにはもったいないわ、と評価してあげることにした。
なんで今急にこんなことを思ったのかというと、
牛だかキリンだかの柄のカットソーを着たデ…失礼、ぽっちゃりがいて、
まるで化粧した牛ね、と思っていたら
電話がかかってきて、それに出ながらたった今空いた優先席にとんでった、
という、嗤っちゃう場面を目撃したから。
どうして私がこんなに生きていることが苦しいのに
よっぽどむさ苦しいあの牛は平気な顔で生きてるんだろう?
…と思ったわけ。
まぁ、「分相応」なので、
知らぬが仏にはやっぱりそれなりの事象しか起こらないのでしょうけど。
でないと私が可哀相でしょ!?(笑)
ということで、
私はやっぱり不幸せで起きてる時間の95%悩んでる私でいるのが
一番私らしくて、幸せで、間違ってないんだろうな、と思いましたとさ。
まぁでも本当は、この傲慢で無知なところをなんとかしないと
本当に幸せにはなれないのも知ってるんだけど。
今はこれで精一杯なのー(笑)!
ただ、器だけは豚にならないように努力しないとね(笑)
いじょー。